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長い日記になりますが<030810>

ミッシェル・ガン・エレファントというバンドがいる。知っている人は知っているし好きな人にはとても大切な名前だが、いわゆる世間一般からみれば「誰それ」「何それ」の類なのかもしれない。91年結成、96年メジャーデビュー。テレビで曲の尺を短くされることなどを嫌ってテレビの音楽番組には殆ど出演してこなかった。だから、余計知っている人、好きな人とまったく知らない人の温度差が激しいのかもしれない。今時信じられないくらい硬派で、スタイリッシュなロックを貫く彼らは、ドームや大きなホールクラスでのライブを嫌って、どんなに売れてもオールスタンディングの、小さい会場で一体となるライブスタイルを崩そうとはしなかった。メンバーは4人。4ピースの、シンプルなバンドだ。シンプルで、そしてとにかく、格好いいバンドだった。それがミッシェル・ガン・エレファントだった。
私はイエローモンキーが好きで、だからこそミッシェルの格好良さにはいつも嫉妬していた。イエローモンキーは、やはりどこか時代とそぐわないような垢抜けきれない部分があって、勿論そこが素晴らしい彼らの魅力ではあったけれど、しかしミッシェルのあまりにスタイルを貫いた格好良さはどうにも気になってしょうがなかった。妬けたし、羨ましかった。今年の春先にタトゥーというロシアの娘っ子が歌番組でドタキャンをくらわし、慌てふためく番組スタッフに懇願され、事も無げに予定外の曲をぶっつけ本番でさらりと聞かせて格好良く立ち去る、なんていうドラマのような出来事も、あまりにミッシェルで、そして格好良すぎて、私は凄いなあと思うと同時にやはりどうにも妬けてしょうがなかった。

ミッシェルは先月末に突然解散を発表した。ファンにとっては衝撃で、現在発表されているツアーの最後の日程、10月11日がラストでそれ以降解散ライブというようなことは一切やらないという。それもまたあまりに格好いいミッシェルのスタイルではあるが、一分一秒でも彼らの音楽と一緒にいたいと思うファンにとっては、ある意味残酷な仕打ちだったろう。だからこそファンには、残された時間はものすごく大切だし、例え生でなくても、彼らの音楽に触れることの出来る機会は逃したくないものだったに違いない。しかしもともとテレビに出ない彼らのことだから、解散発表後決定しているテレビへの出演は2回のみ、そして歌番組はそのうち1度きりしかなかった。それが先週の金曜日の、ミュージックステーションだったわけだ。

関西圏、つまり、ABC放送では、この日のミュージックステーションを、急遽阪神戦の中継に差し替えた。ABC放送でその判断を下した人が、ミッシェルのことを知っていたのか、知っていてもどうでもいいと思ったのか、それはわからない。当然テレビは視聴率が取れてナンボだし、企業の論理として多くの人が期待している方を選択するというのは、正しい決断なのだろう。だがそれが正しい判断なのだとしたら、わたしは間違った人間で構わない。正しい側になぞ、金輪際つきたくない。阪神は18年ぶりに優勝への道をひた走っている。ファンにとっては至福の時だろう。18年の重み。経済効果。関西経済界の活性化。どれもこれも正しい、太刀打ち出来ない論理ばかりだ。だから再放送があることも知らず(知ることが出来ず)ミッシェルの最後のテレビ出演を見逃した彼らのファンは、泣き寝入りするしかないのだろう。それがどうしたと、そんないちバンドの解散ごとき知ったことではないと、踏みつけにされるしかないのだろう。

だがすこしだけ考えてみて欲しい。阪神の優勝は確かに嬉しい出来事だ。18年ぶりの優勝だから存分に楽しみたいというひと、もう次は、いつあるのかわからないのだから、この機会を逃したくないというひと、さまざまだろうと思う。でもまだ可能性はある。どんな可能性だってある。来年もまた勝つかもしれない。もしかしたら次は5年後かもしれない。また18年そんなことはないのかもしれない。でも「いつか」は残っている。「いつか」と思い続けることが出来る。ミッシェル・ガン・エレファントとそのファンには「いつか」は無い。時間は限られ、そしてどんどん終わりの時は近づいてくる。10月11日で、彼らの世界は終わる。そしてもう二度と、還ってこない。

私は野球が嫌いだが、それは野球というスポーツが嫌いなのでも、それを応援する人が嫌いなのでもない。私が嫌いなのは、日本のプロ野球全体にまとわりつく「なにをやっても構わない」という傲慢さだ。彼らが正しく、彼らが強く、だから他は踏みにじられてもしょうがないという風潮だ。ダウンタウンの松本人志はその昔、自身の番組が急遽野球中継に差し替えられたことに憤り、その番組自体がうち切りになったことがあったが、彼もその傲慢さに耐えきれなかったのだろうと思う。お笑いよりも野球が上、ドラマの最終回よりも野球が上。それがどれだけ少数派の楽しみを奪うことになっても知ったことではないという強者の論理に、私は反発しないではいられない。それが間違っていても構わない。私はそれを「おかしい」と思うしそれに慣れたりなんて絶対したくない。その論理の何が悪いと言う人は、ミッシェルの最後のテレビ出演を見ることが出来なくて、泣いた多くの人を目の前にしても同じことが言えるのだろうか。


こういうことがあるたびに、私は野球をまた、嫌いになる。

2 years ago

October 7, 2009